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100年後に遺す

5年目の九州情熱人。Vol.9

今日は垂水市出身、絵付師「薩摩志史」こと 室田志保 さん をご紹介。

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今回、ツツジの名所「高峠」が程近い、ヤギと文鳥も暮らすアトリエへおじゃましてきました。

まずは皆さん「薩摩ボタン」をご存知でしょうか?

■大きさ:直径8㎜~5㎝

■薩摩焼「白薩摩」で作られた“陶器のボタン”

この小さなボタンに、室田さんは、極細の筆でミリ単位で、

季節の花や動物など、様々なものを描いています。

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本当に綺麗!

室田さんは「薩摩ボタンには小さな宇宙が広がっている」と表現していましたが、

その言葉に納得!見れば見るほど奥が深くて、視点を変えると色んな絵が見えてきます。

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(こちらの作品はある日本昔話の物語が描かれているとのこと。発見すると楽しい!)

そもそもこの「薩摩ボタン」は、

江戸時代末期、薩摩藩が倒幕運動などの軍資金を得る為に作って

海外へ輸出していたと伝えられているとのこと。 

ただ、これだけ繊細な物なので、一時途絶えていたそうなんですが、

ここ、薩摩・鹿児島から復活させようと動いたのが室田さんです。

元々は、白薩摩のお茶道具に絵を付けていたという室田さん。

その頃「薩摩ボタン」と出会い、一瞬で魅了されたと言います。


・「薩摩ボタン」との関わりが始まったきっかけは?

薩摩ボタンを初めて知ったのはタウン情報誌の特集。

当時、薩摩焼の業界にいたのに知らなかった。こんなに美しいものがあるのかと思った。

すぐに雑誌の特集に掲載されていた“薩摩ボタン”を復刻させた社長に会いに行った。

そこで、手書きの薩摩ボタンはボタン博物館にあると教えてもらった。

今度は当時東京にあった博物館へ(現:大阪)。

館長に自分の手で復活させたいと想いを伝えたら、薩摩ボタンの図録をもらった。

そこから魅了され早10年。

当時(20代)の自分には、お茶の世界の“わび・さび・余白の美”が理解できず、

隙間があれば描きたいと思っていた。

だから“小さいボタンの世界”は自分に向いていたのかもしれない。」


最初は、全てが手探りで、大変だったと思うんですが・・・

「自分で探し当てながら進むのは非常に楽しい時間だった」と振り返っていました。

「薩摩ボタン」の絵付師として再出発して11年。室田さんの活動はまだまだ続きます!


・これからやってみたいことは?

「去年、アトリエ開設10年でアメリカの“ボタンの祭典”という展示会へ参加。

今年の夏も行ってきたが、とても評判が良かった。

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元々、海外向けに作られていたもの。また海外へアプローチできたら。

実際に自分でアンティークの薩摩ボタンを見ているので、

自分のロゴ“薩摩志史”には歴史の“史”の文字があるように、

100年後を見越して恥ずかしくないものをしっかりと遺る技術で描いていきたい。」


「世界に出ると“サツマ”の言葉の重さは更に特別なものになる」とも話していました。

薩摩ボタンも描きながら、二児の母。子育てもしながら、英会話にも励んでいる室田さん。

穏やかな話し方ですが、とってもパワフルな女性でした!

描きたいものは限りなく沢山あるとのこと。目が見える限り描き続けるそうです!

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